電撃文庫

○○○○ こちらは「なれる!SE」ドラマCDの発売を記念して、Web用に書き下ろされた特別短編です。
ドラマCD発売記念特別短編「立華ズ・ブートキャンプ」前編

 きっかけは近所のスーパー銭湯に行ったことだった。
 最近シャワーしか浴びてないし、広い湯船につかりたいし、何より湯上がりのコーヒー牛乳とかぐいっといきたいし。ああ昼間っからビールもいいよなぁ! せっかくの休日、日頃の鬱憤を晴らすためにも何か普段できないことをするべきでないだろうか!
 衝動に突き動かされるまま坂下の銭湯を目指した。レンタルタオルと施設利用のチケットを購入、サウナにジェットバスを楽しみ、お約束のコーヒー牛乳を呷っていた時のことだった。工兵はふっとそれ ―― に気づいた。
 浴場の入り口、竹かご脇に置かれた白い体重計。
 ……そういえば最近量ってなかったなぁと思う。自宅のタニタは一年前に壊れ、以来新調していない。激務続きで食事や睡眠も不規則になってるし、どれちょっと確認してみるか。痩せすぎていないか、不自然に体重が減っていないか。
 ………。
 太っていた。
 それも激烈に。
 記憶にある体脂肪率は確か10%ちょいだったか、それが見事に20%近くなっている。もちろん重量自体も大幅アップだ。五キロ? いや七キロは増えているか。適正体重=身長―百十……などと考えるまでもない。デブだ。完全にメタボ予備軍だった。
(う、嘘だ)
 血の気を失いドレッサーに駆け寄る。鏡に映った自分の身体は……ふっくらしていた。二の腕、脇腹に見覚えのない肉がついている。よく見れば顎の下にも線が出来ていないか、って何だ、このボツボツは? ニキビ? 社会人にもなって?
 衝撃だった。二十過ぎてデブで肌が汚くてって、まんまただのオヤジじゃないか。え何? 自分この調子で年取っていくの? 脂ぎって太鼓腹で髪とか薄くなって、『なんか最近桜坂さん臭いよねー』って言われたりとか。
 つっと指先に水滴が落ちる。手の中にコーヒー牛乳の瓶。まだ少し残っているが慌てて回収トレイに戻す。とても全部飲む気になれない。いや、今飲んだ分だけでどれだけカロリーを摂取してしまっただろうか。百キロ? 二百キロ? 薄茶色の液体が途端毒素のように思えてきた。
 一体なぜこんなことに。
 混乱に陥りつつ自らの生活スタイルを思い起こす。
 朝飯はほとんど食べていない、昼飯は……コンビニ弁当かサンドイッチ、夕食だってそんな馬鹿食いはしてない。学生時代好きだった食べ放題も社会人になってからはとんとご無沙汰だ。はっきり言って太る要素が見当たらなかった。
 ひょっとして……ストレスか。
 仕事の苛々で体が変調を来しているのでは。代謝が悪くなり栄養が脂肪として蓄積されていっている……とか。
「兄ちゃん、次ええかのう」
 のんびりした声で呼びかけられる。白髪のお爺さんがにこにこしながらドレッサーの順番待ちをしていた。
 丁度混雑する時間帯なのか、左右の椅子が埋まっている。慌てて鏡台から離れ場所を譲った。お爺さんは一礼して着席、少ない髪を丁寧に櫛で梳き始める。頭頂部が照明の光を浴び鈍く輝いた。見れば生白い腹が恵比須さんのごとく膨らんでいる。頬肉がブルドッグよろしくだらりとぶらさがっていた。
 鏡の中でお爺さんと視線が合う。皺だらけの目尻がくしゃりと緩んだ。
「兄ちゃん、ええ身体しとるなぁ。わしの若い頃によう似とるわ」
 工兵は心中で絶叫した。

 翌月曜日、暗澹たる気分のまま出社した。
 休日中思いついたように筋トレしてみたが状況は変わらなかった。むしろコーヒー牛乳の分体積が増えたようにも思える。非常事態、レッドアラート、掛け値なしの大ピンチだった。
 今日は歩いて家まで帰ろうか。いやいや歩くなんて生ぬるい、ここはランニングで行くべきか。昼飯を抜いて、夜も軽めにして。
 悲壮な思いで考え込んでいると背後で扉の開く音がした。
「おはようございまーす」
 平板な挨拶とともに足音が近づいてくる。振り向くと小柄な少女が立っていた。黒のニットシャツにブラックチェックのキュロット、フワフワしたファーとリボンが襟元を飾っている。ブーツが厚底なせいか、ただでさえ長い足がより一層細くスタイルよく見える。室見立華、我らがSE部のトップエンジニアだった。
 彼女は長い髪を後ろに流しながら歩いてきた。白い肌が窓越しの陽光を弾く。いつも通りの完璧な美貌、プロポーションから毛先の艶までどこをとっても隙一つない。今写真を撮れば多分そのままファッション雑誌の表紙に使えるだろう。ジュニアモデルのような上司は自席にたどりつくと無造作に鞄を置いた。
「……何よ、じっとこっち見て」
 胡乱げに見返される。
 いえ……と答えかけて口ごもる。ていうかこの人、自分と同じ生活スタイルしてるんだよな? 食事も睡眠も不規則で空気の悪いDCで夜通し作業して。なのになんだこの肌艶。つるつるのゆで卵みたいじゃないか。剥き出しの手足にも無駄な肉一つついてない。脂肪のたまる場所に個人差でもあるのだろうか? たとえばお腹とか、こう見えて脱ぐとすごいことになっていたりとか?
 悩んだ末行動する。片手を伸ばし。室見の下腹を。
 きゅっとつまんでみた。
 ………。
 殴られた。
「な、な、何するのよいきなり!? 気でも狂ったの!?」
 両手で脇腹をかばい後じさられる。小さな唇が恐怖に歪んでいた。
「いやぁ」
 打たれた頬をさすり謝罪する。
「すいません、ちょっと室見さんのお腹を触りたくって」
「意味が分からないわよ!?」
「だからあの、どんな風になっているか確認したかっただけで」
「どんな風!?」
 混乱が際限なく膨れ上がっていく。いや女の子相手に「太ってる」とか言いたくなかったのだけど。あまりぼやかしているとかえって変態じみてくる。
 仕方なく事情を説明した。スーパー銭湯での一件、太った原因が仕事にあると考えたこと、同じ生活をしてる室見はどうなのか気になったこと。
 全て話し終えると室見は「はぁあ」と首を傾げた。

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